どこいった暮らし

ただのはぐれものです。

サンタクロースが死んだ朝に

 

昨日パルコに行ったとき、

頭の中ではシャロンを歌ってた

 

今頃は茶髪と眠ってるだろう、なんて素敵な歌詞なんだろうか

 

俺の青春はいつも寂しくて寒くて、みっとうもなかった

街はすっかりクリスマスになってて、さもしいあの日々を久しぶりに愛しく思えたのだ

夜の札幌の中央バスターミナルはいつでも陰鬱に感じた

きっと、あそこに行ってそう思うのは俺だけじゃないって思ってる

 

これからも、パルコを見上げたら、地下鉄のなまぬるい風とあの音を聴いたら、冬になっていちばん寒い夜に星を見つけたら、

シャロンを歌うんだきっと、そうやってきたずっと

 

チバの言葉は、甘く鋭く優しくてせつなくて虚しくてそして優しく、ひとつひとつ拾い集めていけばひとつの絵になるパズルのピースのように

そしてまるで人間の人生みたいに美しい言葉ばかりだった、

厳しくて寒くてまるで歯が立たないようなこの世界にちりばめられた毎日の、生まれてはすぐ消える、立ち止まって目を凝らさなければならないほどの、しかしそこらに確かにある小さな希望のような言葉ばかりでとにかく、美しかった

想いを伝える、または表現する時、ひとりひとりのやり方があるってことを教えてくれたし、強烈に惹きつけてくれた、

 

心からお礼を言いたい

来世でもまた是非、夢中にさせてくれ

 

Suicaが初めてできた頃、カタカナだけで名前を自由に印字できた時、俺は迷わず「チバユウスケ」にしたんです

 

おやすみなさいチバユウスケ

おもいやりの湿度

例年通り、期待通りの大雪になり

仕事始めの日、排雪作業による渋滞で帰宅時間が大幅に遅くなった

 


でこぼこした道路をのろのろと走行しながら、そういえば、いつだかこの辺で母親が運転していた軽自動車がひっくり返って、ふたりのっていた子のうち、ひとりが外に投げ出されかつ横転した車体の下敷きになった事故を思い出した

こう書くと凄惨な光景を想像してしまうけど、母親も子も命は無事だった

 


雪道ドライバーなら経験があると思うけど、雪道の轍というのは命取りで、本当に「気をつける」しかない状況もままあり、ツルテカ路面で停車できない、なんてことは誰しもが想像できる状態だし、地元でその事故が起きた時も所感として「あるよね、自分も気をつけなきゃね」というくらいだった

でも何気なくニュースを見ていた母親が「シートベルトしてなかったのかな」と呟いた

自分もその時は、投げ出されるということはそういうことなのかなと思っていた

 


それから数日経って、いつも行く美容室で髪を切ってもらっている間、

「近くでひっくり返っちゃったよね」と話題を振られたので

「大事にならなくて良かったですよね、やっぱり〇〇(事故を起こした車種)でもそういうことあるんですかね」と答えた

車種についてはわたしが次に検討していた車だったので、そういう返しになったんだと思う

それに美容師の男性が乗っている車も、かなり雪道に強い(強そうな)車種だった

 


「いや、お母さんさ、やっちゃったーって思うだろうね、そんなのつらいよね」

と美容師さんが顔をしかめたので、すごく意外だった

「親なら時間に追われてさ、急ぐことあるじゃん」という

 


なんてカラッとした思いやりの言葉なんだろうと思ってとても感動した

 


ところで

わたしはシングルマザーですと自分でそう言うのがとても苦手で

というのもシングルマザーというラベリング効果は本当にすごいものがあって、そのラベルによって自分がものすごくガチガチに拘束されるような恐怖があるからだった

「あんたに言われなくてもわかってるけど」みたいなことを言いそうな目で見られるのがただ単にイヤなだけかもしれないし、自意識過剰だとも思う

これだけではとても無責任に聞こえるかも知らないが

これに「こどもが可哀想」「母親のくせに」なんてのがくっついてるとさらにややこしくて、いったんべったり貼られたそのラベルを剥がすための、その相手の信頼を得るような時間や手間は途方もなく果てなく感じ、それをやろう、やってやろうとは、そして、その人の言うことが真実だとは、けして思えないのだった

 


最近のパワーワードで「片親パン」というのがあった

片親の子は菓子パンで食事を済ませる、みたいなのからきているらしく、たとえ当事者どうしで「なんでそんなことで傷つく?」と言われようが、

私はそれを「ブラックジョーク」とか「アイロニー」だとは少しも思えなかったが、それをいい意味でもわるい意味でも、軽く受け止める人もまたいるのだろうと思った

自分が思っているほど、言葉に意味はないのだろう

意味がないからこそ、使う言葉は選ぶことができる

いつでも無碍にだってできるのだ

 


そんな時に「いいじゃん、菓子パン、おいしいじゃん!」となんともカラッとした言葉をかけられたら、すごく心が救われる気がする

「片親パン」という言葉は無くならないけど、心の棘みたいなのがぽろっと落ちる気がする

世界が、自分の行く道が、何通りもあることを思い出せる気がする

自分で拾いに行けるものを、選べる気がする

その子どももまた、そうではないだろうか?

そうじゃないんだろうか?

温かく満足な食事、温かい家庭環境、安心できる場所が大切だというのは、もちろんなのだけれど、それを満足に提供できるだけの親は、どのくらいいるのだろう

当たり前のことじゃないと私は思ってる

 


ドラマの臨場で、内野聖陽演じる主人公が

「親がろくでなしだとしても子は関係ねえよ、親がクソでも子は立派に育つんだよ」と言うシーンを強烈に覚えている

その時に自分自身の子どもはいなかったけれど、

どうして?と終わりの見えない問いに、親以外の人がこんな言葉で、形で、寄り添える方法もあるんだなと思っていた

その時の感動に似ていたかもしれない

 


あとその頃、桐野夏生の「砂に埋もれる犬」を読んでいた頃だったのもあった

ほんとうに最後にむかうまでの色んな人たちの感情の流れが素晴らしかったし、

こうやって親になるのかもと思ったりした

 


親になってみて思うけれど、親とは本当に無力でいかに息子を取り巻く環境に、息子と、自分自身が助けられているかわからない

正しさでは白黒つけられないいろんなパターンがある、

目を背けたくなるような信じられないことも起こるのが現実だし、この事故が大事となればまた、わたしの見方も違ってくるかもしれない

 


本当にひとりきりだな、と思う時、そこに立っている時にふいにほおを撫でた風みたいな思いやりのある人は素敵だ、本当に尊敬する

考えて出た言葉じゃなくて、本当に自然にそう思うからこそ、うまれる言葉もある

 


親として、責任を持つ以外にできることは、息子にはこういう湿度の思いやりを持つ人と、たくさん出会ってほしい、そう願うことだけだ

悪い言葉はなくならないけど、そうではない言葉もちゃんと混在している、世界の美しさを見せること、できるだろうか

その世界をみた息子を、生きていればこの目で見てみたい

わがままだろうか

 

 

 

その美容師さんは忙しくて、洗髪したあとにけっこうな時間マジでまぬけな様子で放置されるんだが、それ含めてすごく好きだなと思う、いい時間だなと思ってる

 


渋滞もまた、色んなことを思い出すから、好きな時間だ

おしっこがしたい時に、困るんだけど

排泄と、排雪をかけました、

おあとはいかがでしょうか

強そうに見えるあの人が、いつ泣いているのかを誰も知らない

 

 

 

 

年末はなんとなく、そんなことを言ってた恋人のことを思い出す

彼とは夢中になっていたバンドのおっかけみたいなことをしている時にmixiで知り合った

 


少し年上だったと思うけど、どのくらい離れていたかはもう、忘れてしまった

写真を撮るのが好きで、小柄な人だった

施工管理かなんかの仕事をしていて、いつも帰りが遅かったし、一ヶ月くらい彼のアパートに居候させてもらった時、目の前の通りに雨曝しになってペタンコになった一足の軍足が落ちていて、「おれのだな、」とひょいとつまみあげた彼を思い出す

そんなのほっとけばいいのにと思ったんだった

 


わたしは北海道に住んでいるが、彼は関東住まいだったのでかなりの距離があった

今思うとSNSで愛を育む、最先端をいっていたなと悦に浸ったりもするわけだけど、

その理由として、ブログだとか写真だとかにつける彼の言葉のセンスがとても好きだった

お互い若かったし、自己表現して惹かれ合うというのは、とても素晴らしい経験だった

(彼がわたしの言葉や写真などに惹かれていたかどうかは自信がないが、少なくともわたしはとても好きだった)

 


若い時のわたしは今よりはるかに尖っていてバカだったし、(自分のことしか考えられていないと言う意味で)人生、敵なし状態だった

 


まれにだが、わたしのような切れ味(けしてシャープではない)の女の子をみると、いとしくてたまらなくなる、からかってみたくもなるし、本気で応援したくもなるし、なぜだかいじめたくなる、そんなことしないが

そのくらい青くて、無鉄砲で、生意気で、弱かった

 


わたしは20代のはじめ、うつ病になり、その彼に多大な迷惑をかけたのだった

都合のいい話だけれど、本当にその時のことは思い出せない、嘘ではない

ブラックアウトというのか、都合の悪いことは封印したいのか、何にせよ思い出せば今でも耐えられないくらいの自責を要する行為だったんだろうと思う

きっとすごく酷かった

一度、そんなにわたしのこと心配なら今から来てみれば、と荒んだ心をそのまま投げかけたとき、

彼は翌日、飛行機で本当に来てしまったことがある

あれは、愛だったんだろうか?

愛ではない、何かだったんだろうか?

いずれにしろ彼の心の底から出てきたわたしに対する誠意だった、

まごころだった

 


あれから10年以上経った今、

かれの言っていた事の意味、そしてその言葉から溢れた思いやりが胸に沁みて、つんと痛い

わたしでない人のことを言っていた

その人は、降っては湧いて消える感情にいちいち名前と理由をつけるわたしに比べて、すごくすごく強くみえた

うらやましがるわたしに彼は言い聞かせてくれた

 

 

 

強そうに見える人だって、しらないところで、泣いてるかもしれないよ

 

 

 

彼は、太陽の輝きが当たり前でないことを知ってた唯一の恋人だった

 

 

 

 

 

 

ただ、内省するだけ

仕事に関して、たいそう悩んだ一年だった

 


特に雪が降る前くらいが本当にいちばんしんどくて、眠れないかと思えば死ぬほど、死にはしないが、一日中寝ていたり、特に朝、心身ともに少しずつ動けなくなっていて、これは久しぶりにまずいかなと思ったりしていた

次に何ができなくなるかというと、本を読んだり映画を見たりする自分の余暇でいちばん心安らぐ時間に全然集中できなくなったりソワソワしたりする、その次に身の回りのこと たとえば服を着替えるとか汚れた食器を片付けるとかそういう無意識に当たり前にきちんとできることが、乱雑になるし面倒になる、頓着がなくなる、こうなるとはた目からみてもダラダラ時間を潰しているようにしか見えなくなってきて、そういうのを許容できる環境にないとますます苦しくなるっていう悪循環になる

まわりも(職場環境だったり、家庭的環境だったり、社会的な地位にいたりっていう立場とかも、私の場合、母親であるとかそういうこともある)内包して、うつ病というのが出来上がっていってしまうのかもしれない

まわりや本人に「なにかおかしいけど、なにがおかしいのかもわからない」みたいな状況に、追い打ちをかけるように

「こんな怠けていたら、生きていけなくなる」

「他人には絶対みせられない」みたいな強迫的なことを思い始めるとさらに具合が悪い

 


私は一度20代の頃にこんなふうになってしまった事があって、「あの時と似ている」と思ったから「嵐が過ぎるのを待つ」みたいな対応がベターだと知っていた、家族の負担は大きいと思いながら

 


そんな時期に、10日くらいの休暇をもらったのが良かったかもしれない

ちなみにその10日は食べて寝てるか、食べないで寝ていないか、のどちらかだった

好きな本や映画はほとんど観られなかった

どうしてもダメだった

 


自分の人生は自分が主役なわけだから、あの時に比べるとこれは壮大な成長だと俯瞰してはみても、その分いろんな視点から考えられるようにもなっていて、いちばん近くの支える人は辛いだろうなと思った

何もできないって事が苦しいし、苦しい状態が続くとつい「自分ならこうする」「自分ならこうは思わない」みたいな気持ちが出てきて、相手を責めて楽になりたくなってくる

そのうちに「なんでわたしが」と思ってきて、優しい人ならそんなふうにも思えなくてよけいつらいんじゃないか、

意味がわからない、理由がない、自分が役に立てないってことを目の当たりにすると、人間はつらいんじゃないか

 


ふと、そう考えていて、仕事においてもそうだと思った

ただ「やらされている」という感覚になると、「やらされていない」人たちに「あなたは?」と言う気持ちになったりしないだろうか?と思ったりした

 


仕事なんだから誰しもが何かをやって対価をもらい、その対価に釣り合いが取れなければつらくなる、さらにそれを続けろと許容されればはらにしんどくなる

チームの利益、会社の利益を出す事がチームの目標だとしても、そのチームでも対価の差があれば自ずとどこかに歪みが出てきて、チーム全体もしんどくなる

 


では歪みはどうやって解消するか?

 


来年は「感情と問題を分離する」ということを前提に動きたいと思った

 

 

 

まずは目標を明確にする

これは会社でいえば「利益」だ、利益を出す、ということは絶対的なルールで揺るがない。どんな立場でも絶対なルールで、可視化しやすい。

次に成果を出すまでのステップと、自分の役割を理解する

自分が課せられた使命を自覚する

上の考えをしっかりキャッチする

 


その上で何が問題かをはっきりさせる

その問題解決のために、助言が欲しければきちんとしたかたちでリアクションをもらえるまで、アタックする

しっかりとエビデンスを用意すること、誰もが「それは問題だ」と認めるようなものだ

圧力の強い上司には、まわりにも動いてもらう事が重要となってくるだろう

 


ステップバイステップでいく

失敗する

向き不向きがあって、不向きなこともやらなきゃならない時がある

それで失敗したとしても、100か0かみたいな評価を自分にくださないこと

なぜ失敗したのかを必ず追求していく

 


楽しむ事、ユーモアを忘れない事、感謝する事

 


今年担当した仕事は楽しかった、とても貴重な体験だったし、まだまだ勉強したかった

夏の始め大きな問題があってそれに対するわたしの姿勢は最悪だった、一緒にやっていくメンバーに子どもみたいな態度をとってしまったし、言動もすごく良くなかった、今思い出してもとても恥ずかしい

ユーモアを忘れないこと、感謝する事、これはわたしが社会人になってからとても大切にしてきた心で、今年はそれさえ失いかけた 最悪だった

今年も大きく、周りの人たちに助けてもらった

だから来年こそ、自分のやり方を取り戻したい

 

 

 

大前提として、相手は自分のように感じないということを肯定的に考えていきたいと思った

だからこそ、対話に意味があるのだし、自分の大きな成長にもつながる

「わたしのこの感情こそ、わたしのこの言っている事がすべて正しい、」というのは傲慢だ

 


来年はこの感情と問題の分離を、楽しむ

自分のものにする

でも、ユーモアと感謝を忘れない

だから、今年はただ内省するだけ

ありがとう、また、よろしくね

好きな和訳のこと

こないだエルレガーデンを聴いてからそれがけっこう長く続いていて、

そういえば若い時は躍起になって和訳に挑戦したなあと思い出していた

でもoasisの歌詞を見ていてふと、

 


Her soul slides away, but don't look back in anger I heard you say というのはもう

どんな和訳をしたって

 


Her soul slides away, but don't look back in anger I heard you say

以外の意味になんかなりはしないと思ってそれで、いっさいやめた

それになにより、slides away.という表現がなんとなく気張らない感じですごく気に入っていた

 

 

https://youtu.be/NEkaGp23Csw


Well I don't know when you changed

You were the sun to me

I don't know why you're so changed

You were so sweet to me

I wonder why things are not the same today

All ever wanted was to stay with you till the end

 


I cleaned up your closet

I washed your dirty cloth too

House holding Mouse molding

I'm messed up

Wash your self dick

 


I don't mind no matter what you weight after marriage

I don't mind no matter if your paycheck is small

I wonder why things are not the same today

You know all I can't bear is your fuckin' attitude

 


I cleaned up your closet

I washed your dirty cloth too

House holding Mouse molding

I'm messed up

Wash your self dick

I cleaned up our bedroom

I washed your stinky socks too

House holding Mouse molding

I'm messed up

Wash your self dick

 


You were the one I was dying for (only in the past)

You were the one I always wanted (but that's over)

You are pretending to hear me now (alone in the house)

You don't seem to love me no more

So I don't care about you too

 


I cleaned up your closet

I washed your dirty cloth too

House holding Mouse molding

I'm messed up

Wash your self dick

I cleaned up our bedroom

I washed your stinky socks too

House holding Mouse molding

I'm messed up

Wash your self dick

 


離婚した時、何回聴いたかわかんねえってくらい聴いた

雪の中息子を抱えて、何度も荷物を運んだけど、実際持っていくものはそんなになかったし、

息子さえいれば最強だった

 


最初訳を調べた時は、Mouse moldingの意味がわかんなくて、「典型的な中流家庭の、家の手入れだとか、それに付随する飾りつけ」みたいなもんなのかな?と勝手に思っていたが、

最近、というか前回の記事で気になって調べたところ、フェラチオのことらしい

それでもっと好きになった

 

 

 

あんたのクローゼットを掃除した

あのシャツも洗ったよ

家を護って、くちでもやった

わたしはめちゃくちゃ

でめえでやりな くそったれ

 

 

 

dirty clothって、なんかただだらしなく放置してあるシャツってことじゃない気がした

なんとなく、他にdirtyになるようなことがあったんじゃないかと思って

messed upのことを「うんざり」って言い方をしてる人もいて、センスいいなと思った

 


そういえば今年、「小説のように」という洋書を読んだのだけど、その翻訳もとても良かった

 


こういうのを日本語にする時、最終的にシンプルに直訳するのがいちばんなのかもと思う時がある

若い時手話の会に通っていて、みんなで歌の歌詞に手話をつけようと話し合った時のことを思い出した

その中で解釈としてこうじゃないか?って意見がたくさん出る中で、

「歌詞は歌詞だから、受け手にまかせて、歌詞のまま手話をつけることも大切だよね」と言ってくれた当事者の話が衝撃で今も覚えてる

いや、そうだよねって思う

 

 

 

正確さもたいせつだけど、その精度より、その人がどう感じて、その背景にどういうストーリーがあるのかを言葉にしている翻訳をみるのは楽しい

真っ暗な夜に、無限の星空をながめる、みたいな様をわたしはすごく気に入ってる

barefoot

夏頃から、「よくない」と思っていた体調が

最近、冬季性うつのような症状でますます具合が悪い

20年前の私なら、この感情に名前をつけようとしたし、どうにかコントロールしようとしていただろうと思う

20年前のあの時と、心情こそ同じだが

いまのわたしは自分を理解できいる、少なくともあのみっとうもない若さの真っ只中で立ち尽くしていたあの頃よりは

 


私はあれからどのくらい前に進んだろう

少なくとも母親になるなんて思いもしなかったし、夢見た結婚生活がこんなに早く破綻して、こどもを一人で育てる親になるなんてことは想像もしていなかった

 


ここ2年くらい、交際相手について深く考えざるを得ない出来事がたくさんあった

それは自分の過去のパーソナルな事にもどうしても回帰して結びつく

心に問題を抱えた相手同士というのはどうしてこうも不健全に引き合い、引き合っては反発し、なんの意味もなく散ってしまうのか考えてた

何冊か本も読んだ

正しさを突きつけられると、自分がひどく悪者になった気になる

正しいけど、絶対間違っているってなことはたくさんあるのに

 


問題を抱えた彼らの事を思うと、吹き曝しの孤独の中で、無感情になった日のことを思って苦しい

少なくとも常識はずれの、はぐれものの、彼らの哀しみが手に取るように理解できたけど、それと同時にその問題は、他の誰でもない本人にしか背負えない事だともわかっていた

それでもトライした、苦しみを分つことで、散る前に意味があるならそれでよかった

だってどうせどんな花も散ってしまう

自然の摂理だ、どうってことない、従来わたしは、他人からどう思われようと気にしない

そこらの花が散ったってどうせ、誰も気にしない

人のいたみを知ろうとする人以外は

 


この夏に真っ暗な夜道で、何度か鼻歌した曲がある

 

https://youtu.be/buimOOWgbqQ


(I don't know what you do here but I...)

I don't know who you are
But I caught a sight of you
Hands frozen before a warm dining place

A snowing freezing night
I see you wear no shoes
But you're standing on the street hoping to get high

You with the chapped hands
You look in pain to me and
Your bare feet are now full of cuts

Why don't you buy some shoes
If you can pay for that
All the mess you've been through won't fade away
Why not buy some shoes
You don't need to pay for that
In this town no one cares about you but me

You like to talk on the phone
In the phone box you feel safe
Someone is on the line
But no one touches you

You don't wanna talk about it
So I won't force the issue
I sense an edge when you talk of your childhood

You with the chapped hands
You look in pain to me and
Your bare feet are now full of cuts

Why don't you buy some shoes
If you can pay for that
All the mess you've been through won't fade away
Why not buy some shoes
You don't need to pay for that
No one cares about you but me

Can you get over what they did to you
Your scars won't disappear
But you're still alive
You are still alive

Open your eyes
Look at the world
Break from the nightmare
A whole life awaits you
No one can help you but you

Why don't you buy some shoes
If you can pay for that
All the mess you've been through won't fade away
Why not buy some shoes
You don't need to pay for that
It's cold out no one can help you now but you
But you
But you

 

 

 

夫も、歌詞でいう電話ボックスが好きだった

つまり、今でいうSNS、ネット、そういうもののコミュニケーション

発信一方のそれらは、誰も夫に干渉しない、責められない、そのことで傷つけられたりも、過去を掘り出されたりもしなかったろう 今自分が立たされている現実からも逃避することができる安全な場所だったに違いない

その代わりに誰も夫には触らない それが余計に夫の孤独を深めることになったのかそうでないのか、わたしにはわからないが

 


通りに立ちんぼこそしなかったが、年中 酒とメンタル処方薬でラリっていた

そうしないとだめだったんだろう、もうずっと昔から、そうやって生きてきたんだろう

 


出会った頃の夫は自由で、なにも持たず、ギターひとつで父親のもとに転がり込んだただの哀れな若者だった

深く落ち込んだ瞳の中に爛々とした狂気があって、何よりもすごくすごく寂しそうだった

今あの頃の彼に出会っても、きっとまた惹かれるだろうと思う

眠れない夜に送ってくれた、彼のジェフベックのアナザープレイスは、いまも私の心に深く住み着いている

すべての孤独を肯定するような美しい旋律をきっと死ぬまで忘れない

誰が奏でてもあんな素晴らしいものにはならない

 


歌詞にはこうある

 


なぜ靴を買わないのかな?

君がいくら犠牲を払ったとしても、それは消えて無くならない

なぜ靴を買わないの?

誰も君を救えない

でも君は…

 


心を開いてみて、(open your eyes なので直訳ではそうではない)

見渡してみて、

悪夢を終わらせたら、世界が待ってる

誰も君を助けられない

でも君なら

 

 

 

なぜ、靴じゃだめだったのか?

鼻歌しながら考えていた

なぜ、みんな破壊的な人生の方を選ぶのか、

逃避にも自傷の、嘘だらけの悪夢の世界から、目を覚まさないのか

やっと最近答えが出た、もちろんこれは私の答えだ

簡単だ、靴じゃだめなのだ

 


彼らの望んだことはみんな、靴を買って悪夢を終わらせる事じゃなかった

たったそれだけのこと

 

 

 

でも私は…

 

 

 

子どもがいながらラリってた夫のことも、幼稚な嘘を重ねた相手のことも一生許さない

笑っているがわたしはフェアじゃないことをされたら絶対に忘れないし、絶対に許すことはできない

わたしはその、孤独の名を借りた怠情を見逃さない

でもわたしは悪夢を終わらせたい

恨むこと、憎むこと、そういうことをやめることができる、

だってそう望んでんだから、私自身が

 


彼らに心安らぐ何かとの出会いがあり、穏やかな日々を過ごしていってほしいと心から願ってる どうぞ私以外にゆるされてほしい

 


わたしは靴をはいて、ここでさよなら。

楽しかったわ、ありがとう。