どこいった暮らし

ただのはぐれものです。

おもいやりの湿度

例年通り、期待通りの大雪になり

仕事始めの日、排雪作業による渋滞で帰宅時間が大幅に遅くなった

 


でこぼこした道路をのろのろと走行しながら、そういえば、いつだかこの辺で母親が運転していた軽自動車がひっくり返って、ふたりのっていた子のうち、ひとりが外に投げ出されかつ横転した車体の下敷きになった事故を思い出した

こう書くと凄惨な光景を想像してしまうけど、母親も子も命は無事だった

 


雪道ドライバーなら経験があると思うけど、雪道の轍というのは命取りで、本当に「気をつける」しかない状況もままあり、ツルテカ路面で停車できない、なんてことは誰しもが想像できる状態だし、地元でその事故が起きた時も所感として「あるよね、自分も気をつけなきゃね」というくらいだった

でも何気なくニュースを見ていた母親が「シートベルトしてなかったのかな」と呟いた

自分もその時は、投げ出されるということはそういうことなのかなと思っていた

 


それから数日経って、いつも行く美容室で髪を切ってもらっている間、

「近くでひっくり返っちゃったよね」と話題を振られたので

「大事にならなくて良かったですよね、やっぱり〇〇(事故を起こした車種)でもそういうことあるんですかね」と答えた

車種についてはわたしが次に検討していた車だったので、そういう返しになったんだと思う

それに美容師の男性が乗っている車も、かなり雪道に強い(強そうな)車種だった

 


「いや、お母さんさ、やっちゃったーって思うだろうね、そんなのつらいよね」

と美容師さんが顔をしかめたので、すごく意外だった

「親なら時間に追われてさ、急ぐことあるじゃん」という

 


なんてカラッとした思いやりの言葉なんだろうと思ってとても感動した

 


ところで

わたしはシングルマザーですと自分でそう言うのがとても苦手で

というのもシングルマザーというラベリング効果は本当にすごいものがあって、そのラベルによって自分がものすごくガチガチに拘束されるような恐怖があるからだった

「あんたに言われなくてもわかってるけど」みたいなことを言いそうな目で見られるのがただ単にイヤなだけかもしれないし、自意識過剰だとも思う

これだけではとても無責任に聞こえるかも知らないが

これに「こどもが可哀想」「母親のくせに」なんてのがくっついてるとさらにややこしくて、いったんべったり貼られたそのラベルを剥がすための、その相手の信頼を得るような時間や手間は途方もなく果てなく感じ、それをやろう、やってやろうとは、そして、その人の言うことが真実だとは、けして思えないのだった

 


最近のパワーワードで「片親パン」というのがあった

片親の子は菓子パンで食事を済ませる、みたいなのからきているらしく、たとえ当事者どうしで「なんでそんなことで傷つく?」と言われようが、

私はそれを「ブラックジョーク」とか「アイロニー」だとは少しも思えなかったが、それをいい意味でもわるい意味でも、軽く受け止める人もまたいるのだろうと思った

自分が思っているほど、言葉に意味はないのだろう

意味がないからこそ、使う言葉は選ぶことができる

いつでも無碍にだってできるのだ

 


そんな時に「いいじゃん、菓子パン、おいしいじゃん!」となんともカラッとした言葉をかけられたら、すごく心が救われる気がする

「片親パン」という言葉は無くならないけど、心の棘みたいなのがぽろっと落ちる気がする

世界が、自分の行く道が、何通りもあることを思い出せる気がする

自分で拾いに行けるものを、選べる気がする

その子どももまた、そうではないだろうか?

そうじゃないんだろうか?

温かく満足な食事、温かい家庭環境、安心できる場所が大切だというのは、もちろんなのだけれど、それを満足に提供できるだけの親は、どのくらいいるのだろう

当たり前のことじゃないと私は思ってる

 


ドラマの臨場で、内野聖陽演じる主人公が

「親がろくでなしだとしても子は関係ねえよ、親がクソでも子は立派に育つんだよ」と言うシーンを強烈に覚えている

その時に自分自身の子どもはいなかったけれど、

どうして?と終わりの見えない問いに、親以外の人がこんな言葉で、形で、寄り添える方法もあるんだなと思っていた

その時の感動に似ていたかもしれない

 


あとその頃、桐野夏生の「砂に埋もれる犬」を読んでいた頃だったのもあった

ほんとうに最後にむかうまでの色んな人たちの感情の流れが素晴らしかったし、

こうやって親になるのかもと思ったりした

 


親になってみて思うけれど、親とは本当に無力でいかに息子を取り巻く環境に、息子と、自分自身が助けられているかわからない

正しさでは白黒つけられないいろんなパターンがある、

目を背けたくなるような信じられないことも起こるのが現実だし、この事故が大事となればまた、わたしの見方も違ってくるかもしれない

 


本当にひとりきりだな、と思う時、そこに立っている時にふいにほおを撫でた風みたいな思いやりのある人は素敵だ、本当に尊敬する

考えて出た言葉じゃなくて、本当に自然にそう思うからこそ、うまれる言葉もある

 


親として、責任を持つ以外にできることは、息子にはこういう湿度の思いやりを持つ人と、たくさん出会ってほしい、そう願うことだけだ

悪い言葉はなくならないけど、そうではない言葉もちゃんと混在している、世界の美しさを見せること、できるだろうか

その世界をみた息子を、生きていればこの目で見てみたい

わがままだろうか

 

 

 

その美容師さんは忙しくて、洗髪したあとにけっこうな時間マジでまぬけな様子で放置されるんだが、それ含めてすごく好きだなと思う、いい時間だなと思ってる

 


渋滞もまた、色んなことを思い出すから、好きな時間だ

おしっこがしたい時に、困るんだけど

排泄と、排雪をかけました、

おあとはいかがでしょうか