強そうに見えるあの人が、いつ泣いているのかを誰も知らない
年末はなんとなく、そんなことを言ってた恋人のことを思い出す
彼とは夢中になっていたバンドのおっかけみたいなことをしている時にmixiで知り合った
少し年上だったと思うけど、どのくらい離れていたかはもう、忘れてしまった
写真を撮るのが好きで、小柄な人だった
施工管理かなんかの仕事をしていて、いつも帰りが遅かったし、一ヶ月くらい彼のアパートに居候させてもらった時、目の前の通りに雨曝しになってペタンコになった一足の軍足が落ちていて、「おれのだな、」とひょいとつまみあげた彼を思い出す
そんなのほっとけばいいのにと思ったんだった
わたしは北海道に住んでいるが、彼は関東住まいだったのでかなりの距離があった
今思うとSNSで愛を育む、最先端をいっていたなと悦に浸ったりもするわけだけど、
その理由として、ブログだとか写真だとかにつける彼の言葉のセンスがとても好きだった
お互い若かったし、自己表現して惹かれ合うというのは、とても素晴らしい経験だった
(彼がわたしの言葉や写真などに惹かれていたかどうかは自信がないが、少なくともわたしはとても好きだった)
若い時のわたしは今よりはるかに尖っていてバカだったし、(自分のことしか考えられていないと言う意味で)人生、敵なし状態だった
まれにだが、わたしのような切れ味(けしてシャープではない)の女の子をみると、いとしくてたまらなくなる、からかってみたくもなるし、本気で応援したくもなるし、なぜだかいじめたくなる、そんなことしないが
そのくらい青くて、無鉄砲で、生意気で、弱かった
わたしは20代のはじめ、うつ病になり、その彼に多大な迷惑をかけたのだった
都合のいい話だけれど、本当にその時のことは思い出せない、嘘ではない
ブラックアウトというのか、都合の悪いことは封印したいのか、何にせよ思い出せば今でも耐えられないくらいの自責を要する行為だったんだろうと思う
きっとすごく酷かった
一度、そんなにわたしのこと心配なら今から来てみれば、と荒んだ心をそのまま投げかけたとき、
彼は翌日、飛行機で本当に来てしまったことがある
あれは、愛だったんだろうか?
愛ではない、何かだったんだろうか?
いずれにしろ彼の心の底から出てきたわたしに対する誠意だった、
まごころだった
あれから10年以上経った今、
かれの言っていた事の意味、そしてその言葉から溢れた思いやりが胸に沁みて、つんと痛い
わたしでない人のことを言っていた
その人は、降っては湧いて消える感情にいちいち名前と理由をつけるわたしに比べて、すごくすごく強くみえた
うらやましがるわたしに彼は言い聞かせてくれた
強そうに見える人だって、しらないところで、泣いてるかもしれないよ
彼は、太陽の輝きが当たり前でないことを知ってた唯一の恋人だった